種苗法改正について、私たちは その2

ニンジンの花、今は蕾をつけている時期。もうすぐ咲きそうですよ。

在来種・固定種野菜と、F1種の野菜 その現状

種苗法改正についていろんなところで様々な意見をききます。
その、声、によって、
この法案を知った方
自家採種ということを知った方、
種について何かを感じた方、そこから派生する様々な事柄、
これまで知っていたけど、知らないことにも触れられた機会として
私たちは、知ってもらえたことに
とても嬉しく、劇的なことだなと感じています。

今日は少し種苗法からそれる話、私たちはそれていないと思っているのですが、
もしかしたらそのように感じる可能性があるかもしれません。ですが、
『食べること、が、どこかに繋がっている』という視点をもって、
法律、を、その考えを進めてみようと思います。



私たちは在来種・固定種だけの野菜を扱う八百屋です。

「代々、種を受け継いでいる農家さんの野菜を食べてください!」

私たちがこの活動の中で一貫して伝えながら
「どうしたら、この野菜を食べるてくれる人が増えるんだろう」
と日々考えています。
そのことは、2冊の著書の中で散々に書いていますが、それと同時に、
F1種の存在もお話するべきこととして、私たちの中に大きく存在しています。
その1、の記事でも書いたように、それは否定のお話ではありません。
なぜならそこも正しい思考・直面してきた歴史だからです。

日本では一般に流通している野菜は、
有機JAS認証をとられている野菜でさえ、ほぼF1種の野菜です。
在来種・固定種の野菜は、市場で見ることはなかなかありませんし、
私たちだって幼い頃から今に至って、そのどちらも食してきた立場ですから、
そのことを否定するつもりも何もありません。
今だって美味しくいろんな野菜をいただいています。
ただ代々受け継がれている野菜の存在を知らないまま、今の野菜を食べ続けていく未来にむけて
日本人として、もったいないな、と思うのです。

農家さんが作らなければ種は途絶えるし、
食べる人がいなくなっても種は途絶えます。


種を大切にしながら野菜を栽培されている農家さんは、
その野菜を食べてくれる人がいるから、種を蒔いて野菜を育てて、食べる人に届けています。
ものすごく単純なことですが、
作る人がいても、食べる人がいなければ種は途絶えます。
そして、作る人がいなければ種は途絶えます。
在来種・固定種の野菜はF1種と比べて(ここ重要、比べると、です)
収量が少なく、姿形もそれぞれに成長して、成育にもばらつきがあり、
定時に安定供給できないこともあり、市場で値段をつけづらい。
ですから市場から求められずに、市場からなくなりました。

市場、って?
市場、とは?

それは、今に生きる、私たちが求めていること。
今に生きる、私たちがつくってきた世界観。

現在の市場は、1本いくら、という世界。
量り売りではなく、みんながパッと見て同じ大きさで同じ色・形でなくては、同じ値段をつけられません。
同じものを、同じ大きさを、同じかたちを、同じ値段を望む消費者。
私たちが望んできた世界観、です。
さらに、都市化が進み、種を採る野菜の栽培をされる農家は減少に拍車がかかります。
もちろん、見過ごすことを良しとしない、農家さんと一緒に種を守る人たちもたくさんいらっしゃったし、
同時に、自治体ごとに「伝統野菜」「地方野菜」など、
その生存を守るため(その定義は自治体ごとに違ったりしつつも)
各地域の特色を生かしたり様々な分野と連携しながら、地域の方々と奮闘されていらっしゃいます。
それほどまでに私たちの生活の中に、流通していないのが現状です。

種、から、育つ野菜の、現状はこのような感じです。


さらに、地方自治体で守られている野菜と、
私たちのような小さな八百屋が取り扱う野菜は、そのメジャー感というのかな、
知ってもらえる現状はなかなか難しい野菜が多く。
自治体に発掘してもらって、その地域の野菜として認められたなら、
これからももうしばらくは、地方野菜として守られていくでしょう。
ですが、私たちが見ている野菜には、そこにさえ発掘されないまま、
この生産者が栽培を終えたら、種が完全に途絶えてしまう、という野菜も
実際に目の当たりにするのです。

その野菜を栽培されているのは、ご年配の方々。引継ぎてもおらずひっそりといらっしゃいます。
私たちがいくら販路をみつけたところで『多くを栽培してください!』とも言いづらい。
もう、何十年も、あきらめてきたのだから。
そう、あきらめ続けてきたのです。
そんな野菜はもう売れないし流行らないと言われて、
種を採ることも、継承することも。
あきらめてきました。
だけども、なお、それでも、
先祖から代々続いている種だからと、作り続けてしまう、
それは、やりたいとかやりたくないとかとは全然違うところにある、何か。
この農家さんにとって決して途絶えさせてはいけないという感覚の、宝物、なのです。
私にはその感覚を、想像することしかできません。
生きていく中で、一生かけても、決して理解ができることではないのです。
ですから、

『おすそ分けしていただけますか?』
それが精一杯の口説き文句だったりします。

種、から、育つ野菜の、現状はこのような感じです。

こういった、在来種・固定種の野菜の現状については、
私たちのような小さな八百屋が介入できる得意な範囲もあるし、
大手企業が介入する得意な範囲もあり、それは連携してやらなくてはいけないと思っているのですが、
何が言いたいのか、というと、

『私たちが見えているところは、小さな、小さな、世界の縮図である』

ということです。
どこの世界にも、失くなりそうになっているものがあり、
そこには人々の日常や感性があり、
そこには日本人の知恵や歴史や時間や季節を味わい尽くす尊い、何か、が、そこにあるのです。

その日本独特の小さな縮図は、世界の流れのあちこちに存在しています。
それはどういうことなのでしょう?
どんな言葉で存在しているのでしょう?
ということを、次回、説明してみようと思います。
しばらくは、種苗法改正とはとても離れた話になりますけど、
離れているわけでは決してない話だと、私たちは強く思っています。

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