野菜が届かない日に「未来からの足音」が届いた

どのようにお伝えするか、
まるっと2日、考えました。

金曜日の午前中に届く予定の野菜、
おおよそ段ボールにして7箱ほど
まだ届いていません。
紆余曲折して、結果的に私たちが
半額で買い取ることにしました。

手元にないものに、お金を払う、だからこそ
これをどう捉えればいいのか考えなくては。
なぜなら

どこかの誰かの責任、というイメージがどうしても湧かないからです。

原因は色々と捜索した結果、
12月に入りお歳暮、おせち、ギフト、セール、など
関東近辺への振り分けが大パニックになり
みつからない箱の上に、さらに荷物が重なり、
もう、探すことをあきらめられてしまった、
というところでしょうか。

それは、野菜ですから
箱の中で、どうなってしまっているのかは容易に想像できます。

もったいない!と思う気持ちで破裂しそうなんですけど
年末だから仕方がないか、というあきらめでもなく
野菜が届かなかったけど、
自分たちに巡ってきた、もしくは巡ってくる、
「未来からの足音」とも感じています。
消費すること、配送すること、もっと前の段階で
誰かと関わり合いながら、食べる、息をする、生きていく、ことを
考えさせてもらう時間。

生活の在り方が便利・最短・時短・など
時間を節約しているつもりでも、
節約した空いた時間にまた違う何かが入ってきて
結局、忙しくなってしまう。
どうやら私たちは、その連鎖の中にいるようで。
きっと未来はもっと忙しくなるのかもしれない。

年末年始にむけて
こういう状況になる事は、誰しもあるということ
皆さんに、お伝えしておきたいと思います。

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