種苗法改正について、私たちは その1

種苗法改正についていろんなところで様々な意見をききます。
その、声、によって、
この法案を知った方
自家採種ということを知った方、
種について何かを感じた方、そこから派生する様々な事柄、
これまで知っていたけど、知らないことにも触れられた機会として
私たちは、知ってもらえたことに
とても嬉しく、劇的なことだなと感じています。

在来種・固定種の野菜について、311東日本大震災以降は大きな流れがありました。
人々の意識が少しずつ、変わったということもあります。
それ以前はどうだったか、ということに少し触れると
1999年(平成11年) 有機JAS認証制度が施行され、そのことを安定的にしていくため
世界との足並みを揃えていくため、の流れが大きくありました。
その時に感じていたのは、
「認証制度」と「種」が、どこかと、なにかが切り離されている傾向にあったこと。
今でも、そこは難しい現状でもあるのですが
今回のような「法」と「農」の関係性のところでいうと、いろんなことを考えさせられます。
とはいえ、驚くことは!
この種苗法の改正にあたり、こんなにも一般の方から、
「種」とか「自家採種」という言葉が出てくることは予想をしていなかったことです。

今のところ議論として広がる「自家採種」という言葉の理解度とともに、
その野菜を食べていこう!
というような流れになっているか、というとそうではなく。
あ、それは、私たちの力不足か、、、(いま気づきました)

今、議論をされている方々や、なんとなく種苗法改正について気になられている方々が
その議論と同時に「食べることでも、多様性を守り繋げることができる」と気づいてくださる ことを願って!
すべてを書ききれるほどの表現力はありませんが、
私たちの見解をここに残してみたいと思います。
なぜなら、せっかく興味がある人たちの時間や気持ちを食べてほしい!に変換したいから!
なぜなら、種から育つ野菜のおいしさに、私たち自身が毎回驚きを隠せないから!
なぜなら、野菜の向こう側にある景色や、農家さんたちのたゆまない努力があるから。
そこには法律ではまかないきれないところにある、つながっていく生命があるから。
種がふわっと飛んでいくような想像力、それは、日々の中に広がっていく。

とても複雑な内容です(だから情報が錯綜する場面も多々あります)
私たちには言葉が足らないところもあり、
もしかしたら、数回に分けてお伝えするかもしれないし、
途中で伝えることを諦めてしまうかもしれませんが(汗)
その辺りは書きながら流動的にさせていただきます。

この法改正のことを、調べれば調べるほど、謎!?が残る、し、複雑、です。
私たちも、常に意識していないと、あれ?そうだったっけ?と迷うこともあり、
その度に、もう一度、調べなおしたり、
友人たちに意見を求めたり、求められたりしながら、
そんなことを繰り返す中で、やっと私たちの見解を
やっとなんですけど、持つことができたように思います。
それだけ、今の時代の野菜や果物には多様な世界があり、
さらに、分類されたりされなかったりしている。

そこで早速、合いの手を!(早い!)くださるような記事をご紹介します。
林ぶどう研究所の林さんの、こちらの記事です。
林さんにコンタクトをとり、
ご紹介させていただくことをご快諾いただく中で
いろんなお話をさせていただきました。
ぜひ、お時間ある時に!と
とてもわかりやすく書かれてある、ということもそうですが、
種苗家、としての貴重な意見がここにあります。



https://note.com/grapelabp/n/n53a70ed87db1



まずは、私たちが扱っている在来種固定種の野菜は
農家さんたちが自分たちの野菜から種を採り、またその種を植える、
という循環を繰り返しています。
ですから、今回の改正の中では、
種を自分たちで持っているので、誰にも許諾は必要ありません。

今回の改定で話をしている「種」というのは一般的にいう「F1種」の話です。
このF1種という種は、
種苗家(企業、地方自治体、個人の方々がいらっしゃいます)が膨大な時間をかけて
種を改良して作り、農家さんたちが毎年、種を購入して野菜を栽培しています。
F1種の種が、基本的には次の世代を残していかない、
増殖という方法で同じものを作れる品種もある、
など、いろいろと細かくはありますが、今回は、ちょっとそこは割愛して。
また次回、何らかでお話するとして。


私たちが混乱する中のひとつに、種苗家、という職業の方の存在がいらっしゃいます。
日常でなかなかこの、種苗家、と言われる方々のことを知る機会が少ないです。
農家と種苗家は別の職業です。基本的には。
もちろん林さんのように、両方を兼業とされてる方もいらしゃいます。
とても少ないですけど、国内にも種苗家、の個人の方がいらっしゃいます。
その方の声を聞くと、少し安心できるところがあるのかな、と。
ようは、自然に淘汰されていく、種、もありますが、
私たちが食べている野菜や果物は、誰もがおいしく食べれるようにと
時間をかけて改良してきたし
別の言い方をすると、見栄え良くとか、流通にのりやすいように、
人々が求めやすいように、など、格好よくデザインされてきたもの。
それを求めてきた消費者と、その希望に沿うように栽培し続ける種苗家の方たち。
でも、現代のF1種の果物や野菜が、それだけの意図でつくられているのでしょうか。
その歴史を辿ればたどるほど、単純に話せることではない、と思ってしまうのです。

そもそもは、改良、とは。
昔、昔から野菜を作るとき、村の人たちにもっとたくさん食べてもらいたい、とか、
きっともっとおいしくなるに違いない!とか、もっと多くの人が作れれば
みんなの生活が楽になる、とか、
他者を思う愛ある自然と湧き上がる気持ちの流れがあって、改良をしてきて。
その昔からずっと、
日本人はこのことを自然環境の中で、その地域に根ざした野菜を進化させ続けてきました。

日本には大根だけで100種以上、あります。
それは、自然だけの恩恵ではなくて、その自然とともに私たちの祖先が
莫大な労力と時間をかけて改良を重ねた結果、
このように地方品種が育ってきた、という歴史。
海外にこんなに大根の種類がある国はありません。
世界に誇れる多様な世界です。
そのくらい、日本人の改良する素晴らしい技術と気持ちがあって、
この多様な世界がつくられてきた歴史があります。
今、種苗家として営まれている人たちも、全く同じ想いなのです。

戦後、農業に従事する作り手が圧倒的に不足し、国民全体の食料が不足し、
追い討ちをかけるように、飢饉が日本をおそいました。
日本人が飢餓で亡くなっていく現実があったのです。
その時にその困難を、日本人として、国として、どうしのいできたのか。
皆さん調べてみてください。
と同時に、F1種、という種が開発されます。

この種は、これまで改良されてきた地域に根差す在来の野菜とは少し違う種でした。
国民が食料にありつけるために。

その後、高度成長期となり都市化が進み、大量生産、大量消費、大量輸送などの時代を迎えて。
「便利で、いつでもあって、色味、味、大きさが同じで、金額が同じで、、、」
私たちが野菜へのぞんだことを基準に、品種の開発と改良が進んでいきます。
そうしないと消費者が買わないからです。
祈るように野菜を栽培されてきた中での改良と、
私たちが産業の発展の中でもっともっと、と、望みそれを形にしてきた改良と、

その差異。

そのことを私たちが振り返らなければ、区別して考えなければ
そしてまた、重ね合わせて考えなければ、そんなことをいったりきたりして、
その差異にそのこれまでの食の歴史に触れなければ、
この改正についての議論の焦点となる、
「自家採種」も「自家増殖」も「許諾」も、上澄みでの話になる。
「種苗法」そのものの歴史、そのまわりにある関係性のある出来事や法律、
「品種改良」そのものの歴史、そのまわりにある関係性のある出来事や法律、
もっともっとありますが、
そこにプラス、私たちの立っている今の位置を含めて、深く、深く、潜っていかなければ。
「どうして、これまで改良が必要だったのか」
法改正の奥にある歴史に、または、自然と科学が混在している社会のバランスに、
まずは立ち止まることなのではないでしょうか。

私たちが選んできた日々の連続が
この法律とつながっています。

1本の糸のように。

あぁ、ここまで書くのにものすごくエネルギーを使いましたので
ここら辺で、一度、終わりにして。
また、明日、書いてみたいと思います。
支離滅裂、お許しくださいませ。

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