10月6日 築地市場 場内 最後の日

明日、築地市場場内がその長い歴史の幕をおろします。
長い長い、ながい時間、
日本の食と、食文化を支えてくれたあの場所。
最後の市場を、体感しに今日もまたいつも通りに行ってきます。
いくつかの奇跡の時間が重なりあった市場。
あんな市場はもう二度と作れない。
本当に二度と作れないのだ。
次の場所の見学会にも行かせてもらった。
その場所だっていろいろと人の想いはあるけれど
唯一無二の場所になるはずだ。
箱、の状態から食がどう彩りをみせるかで
これからの豊洲市場の発展はある。
彩りというのは我々の生活の彩りだ。
私たちの意識にかかっている。
築地市場は
昭和を生きてきた方々が作ってきた場所。
であれば、
これからの豊洲市場は
わたしたちの生活がつくっていくもの。
だから見て行かなくちゃいけないと
心底、思います。
うちは古来種野菜を扱う八百屋だけども、
野菜全体の底上げがなされなければ、
古来種野菜が身近になるなんていうのはありえない。
そこに敢行も有機も関係ない。
これだけを食べていれば
これだけを見ていれば
という部分部分の成長がぐるぐる繰り返される中で
食文化の全体が動き出す。
だからスタートの段階で
いろんな人の想いが絡み合っているけれどもそれもみる、
その絡みさえそれが豊洲市場の歴史のはじまりだからだ。
部分部分で動いている人たちこそ
もっと市場の動きに目を向けるといいと思う。
食の全体がそこで動いている。
みると部分部分はどう動くべきか自ずと感じることができる。
‪二度と作れないあの築地市場の場内。‬
‪卸、という仕事の役割が持つ意味合い。‬
‪八百屋、という仕事の役割が持つ意味合い。‬
‪仕事がきちんとプロの間で‬
‪交換されてきた時代の市場。‬
‪それはいつもドラマティックだったように思う。‬
‪わたしたちはその市場に頭を下げに行ってきます!‬
‪育ててくれてありがとう、と!‬
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