八百屋の代打論

どこだか忘れてしまったけど、
どこかのページで、
野菜を叩き売りするのは、
買った人や企業の自由じゃないか、
ようするに、買ったことによって権利が移動する、
という意見があって、
びっくりしました。
安くてお客様は満足すると、
その代わりにその日は肉を高くして、
総合的に利益をとる、と。
それは、その企業のやり方だけど、
その野菜を作った人の♡の行き場はどうするんだろう。
農家さんから野菜を買ったからといって、
農家さんたちの手から離れたからといって、
農家さんたちに関係ないような
農家さんたちの名前をふせるような
売り方をしたり、販売ルートを作ったりすることは
今までも考えたこともなかったけど、
感謝しながら食べるとか、
イメージしながら食べるとか、
そうしていると、
食卓が愉しくなって、よく噛んで食べて、
ごっくんってのみ込む音をきいて、
あーすごい美味しかった!
というところは、
食べる人には作れない部分なんです。
農家さんがいるから、感じられること。
そこに、お金を払おうよ、って思うんです。
私たちは野菜を買っています、でも、
生産者は農家さんであり、
私たちは農家さんの代わりに、
販売するのです。
代わりに、です、代打、です。
代打だから、決めたいわけですよ。
めっちゃ、かっこよく、
めっちゃ、おもしろく、
それが、代打の役目ですからね。
何を言っているかわからなくなったので、
誰か、まとめていただけると助かります。
たわごと、失礼いたしました。
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