2020年5月

種苗法改正について、私たちは その2

ニンジンの花、今は蕾をつけている時期。もうすぐ咲きそうですよ。

在来種・固定種野菜と、F1種の野菜 その現状

種苗法改正についていろんなところで様々な意見をききます。
その、声、によって、
この法案を知った方
自家採種ということを知った方、
種について何かを感じた方、そこから派生する様々な事柄、
これまで知っていたけど、知らないことにも触れられた機会として
私たちは、知ってもらえたことに
とても嬉しく、劇的なことだなと感じています。

今日は少し種苗法からそれる話、私たちはそれていないと思っているのですが、
もしかしたらそのように感じる可能性があるかもしれません。ですが、
『食べること、が、どこかに繋がっている』という視点をもって、
法律、を、その考えを進めてみようと思います。



私たちは在来種・固定種だけの野菜を扱う八百屋です。

「代々、種を受け継いでいる農家さんの野菜を食べてください!」

私たちがこの活動の中で一貫して伝えながら
「どうしたら、この野菜を食べるてくれる人が増えるんだろう」
と日々考えています。
そのことは、2冊の著書の中で散々に書いていますが、それと同時に、
F1種の存在もお話するべきこととして、私たちの中に大きく存在しています。
その1、の記事でも書いたように、それは否定のお話ではありません。
なぜならそこも正しい思考・直面してきた歴史だからです。

日本では一般に流通している野菜は、
有機JAS認証をとられている野菜でさえ、ほぼF1種の野菜です。
在来種・固定種の野菜は、市場で見ることはなかなかありませんし、
私たちだって幼い頃から今に至って、そのどちらも食してきた立場ですから、
そのことを否定するつもりも何もありません。
今だって美味しくいろんな野菜をいただいています。
ただ代々受け継がれている野菜の存在を知らないまま、今の野菜を食べ続けていく未来にむけて
日本人として、もったいないな、と思うのです。

農家さんが作らなければ種は途絶えるし、
食べる人がいなくなっても種は途絶えます。


種を大切にしながら野菜を栽培されている農家さんは、
その野菜を食べてくれる人がいるから、種を蒔いて野菜を育てて、食べる人に届けています。
ものすごく単純なことですが、
作る人がいても、食べる人がいなければ種は途絶えます。
そして、作る人がいなければ種は途絶えます。
在来種・固定種の野菜はF1種と比べて(ここ重要、比べると、です)
収量が少なく、姿形もそれぞれに成長して、成育にもばらつきがあり、
定時に安定供給できないこともあり、市場で値段をつけづらい。
ですから市場から求められずに、市場からなくなりました。

市場、って?
市場、とは?

それは、今に生きる、私たちが求めていること。
今に生きる、私たちがつくってきた世界観。

現在の市場は、1本いくら、という世界。
量り売りではなく、みんながパッと見て同じ大きさで同じ色・形でなくては、同じ値段をつけられません。
同じものを、同じ大きさを、同じかたちを、同じ値段を望む消費者。
私たちが望んできた世界観、です。
さらに、都市化が進み、種を採る野菜の栽培をされる農家は減少に拍車がかかります。
もちろん、見過ごすことを良しとしない、農家さんと一緒に種を守る人たちもたくさんいらっしゃったし、
同時に、自治体ごとに「伝統野菜」「地方野菜」など、
その生存を守るため(その定義は自治体ごとに違ったりしつつも)
各地域の特色を生かしたり様々な分野と連携しながら、地域の方々と奮闘されていらっしゃいます。
それほどまでに私たちの生活の中に、流通していないのが現状です。

種、から、育つ野菜の、現状はこのような感じです。


さらに、地方自治体で守られている野菜と、
私たちのような小さな八百屋が取り扱う野菜は、そのメジャー感というのかな、
知ってもらえる現状はなかなか難しい野菜が多く。
自治体に発掘してもらって、その地域の野菜として認められたなら、
これからももうしばらくは、地方野菜として守られていくでしょう。
ですが、私たちが見ている野菜には、そこにさえ発掘されないまま、
この生産者が栽培を終えたら、種が完全に途絶えてしまう、という野菜も
実際に目の当たりにするのです。

その野菜を栽培されているのは、ご年配の方々。引継ぎてもおらずひっそりといらっしゃいます。
私たちがいくら販路をみつけたところで『多くを栽培してください!』とも言いづらい。
もう、何十年も、あきらめてきたのだから。
そう、あきらめ続けてきたのです。
そんな野菜はもう売れないし流行らないと言われて、
種を採ることも、継承することも。
あきらめてきました。
だけども、なお、それでも、
先祖から代々続いている種だからと、作り続けてしまう、
それは、やりたいとかやりたくないとかとは全然違うところにある、何か。
この農家さんにとって決して途絶えさせてはいけないという感覚の、宝物、なのです。
私にはその感覚を、想像することしかできません。
生きていく中で、一生かけても、決して理解ができることではないのです。
ですから、

『おすそ分けしていただけますか?』
それが精一杯の口説き文句だったりします。

種、から、育つ野菜の、現状はこのような感じです。

こういった、在来種・固定種の野菜の現状については、
私たちのような小さな八百屋が介入できる得意な範囲もあるし、
大手企業が介入する得意な範囲もあり、それは連携してやらなくてはいけないと思っているのですが、
何が言いたいのか、というと、

『私たちが見えているところは、小さな、小さな、世界の縮図である』

ということです。
どこの世界にも、失くなりそうになっているものがあり、
そこには人々の日常や感性があり、
そこには日本人の知恵や歴史や時間や季節を味わい尽くす尊い、何か、が、そこにあるのです。

その日本独特の小さな縮図は、世界の流れのあちこちに存在しています。
それはどういうことなのでしょう?
どんな言葉で存在しているのでしょう?
ということを、次回、説明してみようと思います。
しばらくは、種苗法改正とはとても離れた話になりますけど、
離れているわけでは決してない話だと、私たちは強く思っています。

種苗法改正について、私たちは その1

種苗法改正についていろんなところで様々な意見をききます。
その、声、によって、
この法案を知った方
自家採種ということを知った方、
種について何かを感じた方、そこから派生する様々な事柄、
これまで知っていたけど、知らないことにも触れられた機会として
私たちは、知ってもらえたことに
とても嬉しく、劇的なことだなと感じています。

在来種・固定種の野菜について、311東日本大震災以降は大きな流れがありました。
人々の意識が少しずつ、変わったということもあります。
それ以前はどうだったか、ということに少し触れると
1999年(平成11年) 有機JAS認証制度が施行され、そのことを安定的にしていくため
世界との足並みを揃えていくため、の流れが大きくありました。
その時に感じていたのは、
「認証制度」と「種」が、どこかと、なにかが切り離されている傾向にあったこと。
今でも、そこは難しい現状でもあるのですが
今回のような「法」と「農」の関係性のところでいうと、いろんなことを考えさせられます。
とはいえ、驚くことは!
この種苗法の改正にあたり、こんなにも一般の方から、
「種」とか「自家採種」という言葉が出てくることは予想をしていなかったことです。

今のところ議論として広がる「自家採種」という言葉の理解度とともに、
その野菜を食べていこう!
というような流れになっているか、というとそうではなく。
あ、それは、私たちの力不足か、、、(いま気づきました)

今、議論をされている方々や、なんとなく種苗法改正について気になられている方々が
その議論と同時に「食べることでも、多様性を守り繋げることができる」と気づいてくださる ことを願って!
すべてを書ききれるほどの表現力はありませんが、
私たちの見解をここに残してみたいと思います。
なぜなら、せっかく興味がある人たちの時間や気持ちを食べてほしい!に変換したいから!
なぜなら、種から育つ野菜のおいしさに、私たち自身が毎回驚きを隠せないから!
なぜなら、野菜の向こう側にある景色や、農家さんたちのたゆまない努力があるから。
そこには法律ではまかないきれないところにある、つながっていく生命があるから。
種がふわっと飛んでいくような想像力、それは、日々の中に広がっていく。

とても複雑な内容です(だから情報が錯綜する場面も多々あります)
私たちには言葉が足らないところもあり、
もしかしたら、数回に分けてお伝えするかもしれないし、
途中で伝えることを諦めてしまうかもしれませんが(汗)
その辺りは書きながら流動的にさせていただきます。

この法改正のことを、調べれば調べるほど、謎!?が残る、し、複雑、です。
私たちも、常に意識していないと、あれ?そうだったっけ?と迷うこともあり、
その度に、もう一度、調べなおしたり、
友人たちに意見を求めたり、求められたりしながら、
そんなことを繰り返す中で、やっと私たちの見解を
やっとなんですけど、持つことができたように思います。
それだけ、今の時代の野菜や果物には多様な世界があり、
さらに、分類されたりされなかったりしている。

そこで早速、合いの手を!(早い!)くださるような記事をご紹介します。
林ぶどう研究所の林さんの、こちらの記事です。
林さんにコンタクトをとり、
ご紹介させていただくことをご快諾いただく中で
いろんなお話をさせていただきました。
ぜひ、お時間ある時に!と
とてもわかりやすく書かれてある、ということもそうですが、
種苗家、としての貴重な意見がここにあります。



https://note.com/grapelabp/n/n53a70ed87db1



まずは、私たちが扱っている在来種固定種の野菜は
農家さんたちが自分たちの野菜から種を採り、またその種を植える、
という循環を繰り返しています。
ですから、今回の改正の中では、
種を自分たちで持っているので、誰にも許諾は必要ありません。

今回の改定で話をしている「種」というのは一般的にいう「F1種」の話です。
このF1種という種は、
種苗家(企業、地方自治体、個人の方々がいらっしゃいます)が膨大な時間をかけて
種を改良して作り、農家さんたちが毎年、種を購入して野菜を栽培しています。
F1種の種が、基本的には次の世代を残していかない、
増殖という方法で同じものを作れる品種もある、
など、いろいろと細かくはありますが、今回は、ちょっとそこは割愛して。
また次回、何らかでお話するとして。


私たちが混乱する中のひとつに、種苗家、という職業の方の存在がいらっしゃいます。
日常でなかなかこの、種苗家、と言われる方々のことを知る機会が少ないです。
農家と種苗家は別の職業です。基本的には。
もちろん林さんのように、両方を兼業とされてる方もいらしゃいます。
とても少ないですけど、国内にも種苗家、の個人の方がいらっしゃいます。
その方の声を聞くと、少し安心できるところがあるのかな、と。
ようは、自然に淘汰されていく、種、もありますが、
私たちが食べている野菜や果物は、誰もがおいしく食べれるようにと
時間をかけて改良してきたし
別の言い方をすると、見栄え良くとか、流通にのりやすいように、
人々が求めやすいように、など、格好よくデザインされてきたもの。
それを求めてきた消費者と、その希望に沿うように栽培し続ける種苗家の方たち。
でも、現代のF1種の果物や野菜が、それだけの意図でつくられているのでしょうか。
その歴史を辿ればたどるほど、単純に話せることではない、と思ってしまうのです。

そもそもは、改良、とは。
昔、昔から野菜を作るとき、村の人たちにもっとたくさん食べてもらいたい、とか、
きっともっとおいしくなるに違いない!とか、もっと多くの人が作れれば
みんなの生活が楽になる、とか、
他者を思う愛ある自然と湧き上がる気持ちの流れがあって、改良をしてきて。
その昔からずっと、
日本人はこのことを自然環境の中で、その地域に根ざした野菜を進化させ続けてきました。

日本には大根だけで100種以上、あります。
それは、自然だけの恩恵ではなくて、その自然とともに私たちの祖先が
莫大な労力と時間をかけて改良を重ねた結果、
このように地方品種が育ってきた、という歴史。
海外にこんなに大根の種類がある国はありません。
世界に誇れる多様な世界です。
そのくらい、日本人の改良する素晴らしい技術と気持ちがあって、
この多様な世界がつくられてきた歴史があります。
今、種苗家として営まれている人たちも、全く同じ想いなのです。

戦後、農業に従事する作り手が圧倒的に不足し、国民全体の食料が不足し、
追い討ちをかけるように、飢饉が日本をおそいました。
日本人が飢餓で亡くなっていく現実があったのです。
その時にその困難を、日本人として、国として、どうしのいできたのか。
皆さん調べてみてください。
と同時に、F1種、という種が開発されます。

この種は、これまで改良されてきた地域に根差す在来の野菜とは少し違う種でした。
国民が食料にありつけるために。

その後、高度成長期となり都市化が進み、大量生産、大量消費、大量輸送などの時代を迎えて。
「便利で、いつでもあって、色味、味、大きさが同じで、金額が同じで、、、」
私たちが野菜へのぞんだことを基準に、品種の開発と改良が進んでいきます。
そうしないと消費者が買わないからです。
祈るように野菜を栽培されてきた中での改良と、
私たちが産業の発展の中でもっともっと、と、望みそれを形にしてきた改良と、

その差異。

そのことを私たちが振り返らなければ、区別して考えなければ
そしてまた、重ね合わせて考えなければ、そんなことをいったりきたりして、
その差異にそのこれまでの食の歴史に触れなければ、
この改正についての議論の焦点となる、
「自家採種」も「自家増殖」も「許諾」も、上澄みでの話になる。
「種苗法」そのものの歴史、そのまわりにある関係性のある出来事や法律、
「品種改良」そのものの歴史、そのまわりにある関係性のある出来事や法律、
もっともっとありますが、
そこにプラス、私たちの立っている今の位置を含めて、深く、深く、潜っていかなければ。
「どうして、これまで改良が必要だったのか」
法改正の奥にある歴史に、または、自然と科学が混在している社会のバランスに、
まずは立ち止まることなのではないでしょうか。

私たちが選んできた日々の連続が
この法律とつながっています。

1本の糸のように。

あぁ、ここまで書くのにものすごくエネルギーを使いましたので
ここら辺で、一度、終わりにして。
また、明日、書いてみたいと思います。
支離滅裂、お許しくださいませ。

ひきつづき!古来種野菜の販売を続けます!@吉祥寺キチム にほん酒や

4月19日から、吉祥寺を生活圏内にする方々へ向けて古来種野菜の販売を、
小さく、本当に小さく、ですが、させていただきました。
ご来店くださいましたみなさま、本当にありがとうございました!
緊張感のある、日々、だったような気もします。
野菜が全く売れなくて、300円の売上だった日もありました。
考えたり、楽しんだり、考えこんだり、楽しんだりしてきました。
昨年開催した古来種野菜の100日食堂に来られた方もいらしてくださり、
その続き、を感じさせていただく場面も多くありました。

当初5月初旬まで、とさせていただいていたのですが、
ひきつづき、古来種野菜の販売をさせていただくこととしました!
キチムさんでの販売については、日時を週末土日のみ、12:00−16:30まで、と変更します。
にほん酒やさんでは、変わらず毎日(木曜日定休)11:30〜夕方売り切れくらいまで。

日々の暮らしの中で安心とは何か、感じたり考えたりするときに
「野菜のおいしさ」という視点でも考えられることはたくさんあります、
というより、
この野菜においては、ここから考えることをスタートにすることで
いかようにも、その想像が広がってきます。
ぜひ、そんな野菜たちに出逢いに。

これからをどういう風に過ごすのか、意識の上でもそして実生活においても、
これまで以上に考えなければ、と思っています。

苦しいこともありましたし、これからも続く事柄もあるでしょうけど、
立ち止まっている時の、思考の広がりも、感覚の差異も
感じたことは事実で、それはそれで、大きなギフトでした。
あーだこーだ書きましたが詳細です!

場所:
●キチム 武蔵野市吉祥寺本町2-14-7 吉祥ビル地下 12:00〜16:30まで  5月16日〜毎週末   
●にほん酒や 武蔵野市吉祥寺本町2-7-13 101   11:30〜なくなり次第 木曜日休み
                     (18日 (月)からは12:00オープンとなりました)

●キチムさんでの販売は在店します。(が、不在な時もあります)
●日本酒やさんでは無人販売となります。(が、在店する日もあります)
●無くなり次第終了。毎日、どんな野菜が入るかはおまかせください。
●入場についてみなさまへのお願い事です。 
・日本酒やさんは、狭い路地に面しており車の通りがあります。
 買い物に並んでしまうと事故などの可能性もありますので、  
 前の方がお買い物をされるときにはその場でまたれずに、
 周りを一巡していただいたりの工夫をお願いいたします。 
・ 人数の制限をさせていただく場合があります。 
・マスクの着用をお願いいたします。 
・入口に設置するアルコール消毒で手の消毒をお願いします。 
・マイバックのご協力をお願いいたします。

5月15日 本日のお野菜セットの内容です

まだまだ全国的に端境期が続いております。
農家さんたちの畑では夏野菜たちが少しずつ成長しているところです。
↑もうしばらくこのセリフを言うと思います!

今日はなんといっても、目玉は2つ。
そら豆!と、高嶺芋!

そら豆は美味しすぎてあっという間に食べ終わってしまいますが、
でも、 万が一、たくさんのそら豆が手に入ったら
豆板醤!も作ってみてください。
そら豆75g茹でてつぶす 唐辛子5g(さや付きなら5,6本、種をとって細かく砕く) 米麹8g 塩10g
全部よく混ぜて空気が入らないように表面はラップ
1ヶ月以上常温保管!特に冬場になるととても美味しくなりますよ!
(オザワエイコさん 「だからつくる万能調味料」より参考にさせていただきました)
(うちは常備しております)
豆板醤、という意識が全然変わってきます!
お鍋ととてもあいますし、体もポカポカしてきますね。
わからないことがあったらメールください。

そして高嶺芋!の美味しさってば。
もう、何も手を加えないでください。
チーズグレーターでおろしたあと、その食感と美味しさとその白を楽しんでくださいね。

写真は撮り忘れましたが!!スナップエンドウも入っています!

福岡県 池松自然農園さんの陵西一寸空豆


皮をひろげるとふくふくとした綿、がこれから育つ種を守っています。
その未熟な種はつやっとしていてさぁ、これから。
っていうところをわたしたちがいただきます。


こちらの写真は、その熟した種。
私たちが食べなければこのように成長して熟して
人が手をかけ土に戻せば芽がまた出てきます。
植物の成長段階のいつを食べているのか。
野菜によってそれぞれ違います。
人という動物は夏はたくさんの種いただきます。
茄子の種もトマトの種も胡瓜の種も。

池松さんの空豆はとてもおいしいので茹でてそのまま、ちょっとの塩だけで、
あ、でも塩もいらないくらいです。
今週のお野菜セットに入る予定です。お楽しみに。


困ったことに、この空豆は美味しくて
あっという間になくなってしまいますが、
万が一、たくさんの空豆に出会った時などは
豆板醤仕込みもぜひチャレンジしてみてください。
豆板醤、の意識が変わります。こんなだったのかー!と。
お味噌を作ったことのある方はすぐに感覚をつかめますよ。


農家さんからいただくものは野菜だけじゃないんだなって。
重々わかっているつもりですけど毎回、受けとるものが大きいです。

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