種苗法改正について、私たちは その3

その3、まできました。
どんどん、種苗法改正とは離れているような気がしています(笑)
どうやら思いつきで書いているように、、みえます、、、よね、、
そうです、思いつきで書いてます!
でも、確実に思いつきで支離滅裂かというとそうではなくて、
全て、1本の糸のようにつながっていることなので、どう説明するか、なんですけど。
ダラダラと、まわりからせめている、ような感覚。
ドーナツのように説明をしていかなければ、Yes,でもNo.で片付かないなぁと思います。
さぁ、今日も長めの!内容でいきたいと思います。

種から育つ野菜を食べる文化、というのは、とても尊い文化。
私たちにとって多くの学びがあります。

昔からその家に代々続く種を蒔き、野菜を育てる。それは、生きるために、食料を確保すること。
また、大きな災害や様々な理由で種が採れない=食料を確保できないこともある。
人々は、村の中で連携し、同じ種を蒔き、野菜を作り、種が採れなかった時には、
その種を、お互い分け合えるよう、村の中で守ってきました。
その「種を守る文化」は、自然と交信する、祈りそのもの、神事そのもの。
自然と共に育つその恵みをありがたくいただき、必ずお返しをするという風習。
その地域で信じている神様に野菜を供え、歌や踊りでどうかどうか無事に実りをいただけるよう祈る、
もしくは実りいただけることに感謝して、歌ったり踊ったり分け合ったりしてきました。
それが繰り返されて「文化」となる。

その時代の農は、「畜産と作物と人」をひとつにした農法でした。
そのことにより、季節を味わい尽くす、常に季節のうつろいを「美」として受入れ、生活に取り入れる。
言い換えると自然とともに生きてきた尊い時間、がそこにあり、
その小さな世界観は日本のあらゆる地域に存在していたのです。
それは日本独特の小さな縮図。
その縮図は少しずつ変化しながら日本各地で伝統的な食文化として育ちました。
実は、この縮図の思想をもとに存在しているのが、世界の認識「オーガニック」という流れなのです。
その縮図の思想とは。

「禅」

です。


1900年代初頭、欧州では、人間が一方的に自然を支配し利用してきた結果、
環境破壊を引き起こすことになったことを真に受け止める時代が訪れます。
科学的な農法に対しての不安感、そのアンチテーゼとして、
一方的だった人間と自然の関係から、対等・調和的な関係に組み替える哲学をすすめ、
人が自然の摂理にそって共生するということを基本とした「東洋の思想」、
そこと共にある「農法」を「オーガニック」とよびはじめました。

そして近年、日本にオーガニックが戻ってきた、という構図なのです。
その日本の「禅」の文化を広く世界へ広めたのは、日本人の鈴木大拙です。(ここについては、まだまだ勉強が足りません)

明治・大正時代、私たちの祖先は人間と生物の世界を隔てない、自然と一体化していた農業を取り入れていました。
ようするに世界がいきついたオーガニックという思想や農法を、
いち早く自然に行なっており、わざわざ「有機」などと言わなくてもよかったのです。

その後、日本も同じように大量生産、消費の波、都市化→大規模農業を推進する流れが進み、
そこへのアンチテーゼとして「有機農法研究会」を立ち上げるタイミングがおとずれます。
その時日本は、海外のオーガニックのしくみを積極的に取り入れました。
その本質は日本にあった、日本人が持っていたのにもかかわらず、です。

そして、1999年(平成11年)日本では有機JAS認証制度が施行され、制度として安定的に機能していくよう、
また、市場の在り方としても滞りなく周知・流通を目指していくような流れとなりました。
世界が進んでいくオーガニック市場へとの足並みを揃えていくため、でもあります。
ただ、その中で、欧米の「オーガニック」という思想の中にある、
積み重ねてきた歴史的背景や経緯などを深く議論する時間もなく、
また、日本の小さな縮図(農や村々における歴史、食べる文化、農家が胸に秘めていた思想、そして社会との相違を訴えた学生運動なども含め)
についても同じく深い議論がなされないまま、今に至っています。
法の在り方としても、生活者としても、議論され続けることが必要だったはずなのですが、
そこへの議論はパタリと止まってしまいました。

知っている人だけが知っている、というような状況です。
ですが、農家さんたちは。食べてくれる人を想い、そして未来の子どもたちを想い、
この自然豊かな日本をどう残していこうかと静かに育み、試行錯誤されていますが深く議論されなかった事によって、
私たち生活者の欲求が絡む「市場」では、「健康」や「美」に焦点があたり、
農家さんの想いとは遠いところでオーガニックの経済(ビジネスとして)として「展開」されているように思います。
オーガニックってなんだろう、と真剣に感じた時、なにかこう感じてしまう差異、というのはここにあるのです。

ここであえて言う「市場」とは、人々の欲求の場です。
そして、植物の営みから見たとき、日本の有機JAS認証はたったの20年ほどしか経っていません。
ヨチヨチ歩きです。そのルールを私たちは理解しているのでしょうか。
種はどうなの?
有機種子ってなに?
日本にあるもの?ないもの?
有機肥料はどうなの?
国産なの?
その先のことは見なくていいの?そもそも生活者が知れることなの?

今さら、何をどう紐解いて議論すればいいの?

ここまで書いておいて、なんて無責任な、と思われると思いますが、
私たちにもわからない、ということがただひとつの道しるべ。
その問いがあるからこその想い、というのもあり、古来種野菜を食べてください、と活動しています。
この時代を一緒に過ごしている人たちと、同じ感覚じゃなくても、同じ意見じゃなくても、
このルールを整理したり見守ったり、育てていくような時間の中で、
人々が会話をして意見して相手を思いながら議論を重ねて作り上げていく、
そういう感覚の中でオーガニックという市場も、感性も、思想も、次世代へつなげていきたいと、
八百屋として思うのです。

現代社会の中で「農」という枠で動こうとするとき、
すでにそこに存在している人々の意識や生活、経済、法律などが複雑にからみあって、
境界線がひけないまま動いていく、これが私たちが見えているところです。
ゴールというものはなくて、生きものや植物と同じように、多様な世界の中、
自分の立ち位置で、役割をまっとうし、成長を繰り返して、
次の世代に託していく、ただ、ただ、この繰り返しなんじゃないかなと、思います。


次回、古来種野菜を食べることはもうひとつの世界につながる、
というところをお話ししてみたいと思います。

あぁ、こういう文章はエネルギーがいりますね。
種苗法改正に関わってるみなさん、そして、意見をくださっている皆さん、
みなさま、本当にお疲れ様です。。。。

つづく。   

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